昭和41年7月1日 朝の御理解
末永静行(№41-145-A-1)
御理解第六十節におかげは受け得、受け勝ちと言う御理解がございます。
おかげは受け得、受け勝ち、そういうおかげを頂かせてもらわなければならんが、そう言うおかげを果たしてお互いが受けておるだろうか、その前に、その、第五十九節、その、御理解を分からせて頂かなければならん、第五十九節、習うた事を忘れて、戻しても師匠がどれだけ得をしたということはない、覚えておって出世をし、あの人のおかげでこれだけ出世したといえばそれで師匠も喜ぶ、おかげを落としては神は喜ばん、おかげを受けてくれれば神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜ぶじゃと。
私はおかげは受け得、受け勝ちと、誰でもおかげを受けたいのですけれども、おかげは受け得、受け勝ちと仰るようなおかげと言うのは師匠が教えた事を忘れてしもうておかげを落としては、落としてはどれだけ師匠が得をしたという事があるかと、それを覚えておって、これだけ出世を致しましたと言えば師匠も喜ぶと。私はこれは毎日、毎日の事の上にそれをいえれると思うんです。
昨日は、朝の御理解を頂きまして、御理解に本気で取り組ませて頂きましたら、御理解の中身が少しは深く、少しは有り難く分からせて頂きましたらこう言うおかげを受けましたと、明くる日は御礼を申し上げれるようなおかげを受けて初めて神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜びじゃと言うようなおかげを受けられると思う。ね、そう言うおかげが私はおかげは受け得受け勝ちと仰るじゃなかろうか、何も根拠なしにおかげが受ける、喜びが受けられるはずがない、ね。
昨日は御理解のここんところを分からせてもらいました、ここんところを行じさせてもらいましたらこう言うおかげを頂きましたと、そう言うおかげが神も喜び金光大神も喜び、ね、氏子も喜びと言うようなおかげ、そういうようなおかげをお互い頂かせてもろうて初めておかげは受け得受け勝ちと、ね。
例えばこんな蒸し暑いお天気、あー暑い暑いとばかり言うておれずに、やはりそこに窓を開けなければいけないでしょうが、ね、ところがそこは向こう窓を開けなさい、そんならこっちのやっぱ隅の方であるところのげた箱上の窓を私が開けなさい( )一杯開けてみなさい、開けた途端にひやっとした風が入ってくる、ね、それをせずしてすずしいかだけを、いわゆる、おかげは受け得受け勝ちと言うたところでほんに側まできとる風でもよう頂かれません、ね、同じ事です、教えを行ずるという事はそう言う事だと私は思う。
天地の親神様が人間に限りなく例えば下さる風でもせきつめておっては、いわゆる、暑い暑いと言うておらなければならん、あーおかげですずしかったと、ね、おかげでよい風が入ると言うて初めて神も喜ぶ氏子も喜ぶ金光大神も喜ぶ、氏子も喜ぶと言うようなおかげになるのです。そこんところを私は日にちの上に体験し、日にちの上に現して行かなければならんと思うのですね。
どうぞ。